メインの特集は「梅雨時の掃除・選択」。
でも、わたしが目をとめたのは「子どもを叩いたこと、ありますか?」のサブ特集のほうでした。
子育てに関して、私はいつも悩んでいます。
いつも自信がないし、子供に対して、申し訳ない気持ちでいます。
それに度々、私は出来の悪い母親だと思うことがあります。
それでも私は離婚をきっかけに、少しずつ前向きになって、子育ての色々なチャレンジをしています。
その一つが「子供を叩かないこと」。
子供を叱るとき、手を上げていた時期
最近まで、私は怒ると子供をひっぱたいていました。毎日というほどではありませんが、おそらく月に数回。
ひっぱたくというか、手の甲で頬を叩きました。
3歳前後の子供の言動に苛立つことが多いのだと思います。
長女がそのくらいの時期も、どなったり、お尻を叩いたりしていました。
ここ1~2年は次女がその時期に差し掛かり、手に負えなくなっていました。
ダメと言われていることをわざとやったり、何をしてもいうことを聞かなかったり。
それまでは、たとえ言うことを聞かなくても、とっ捕まえて無理やり(服を着せたり外に連れ出して自転車に乗せたり)していたのですが、力もそこそこ強くなり、こちらもまったく意のままにすることができなくなりました。
ひっぱたくとそれなりに衝撃的なのでしょう。
大泣きしながらも、従うので、それはそれで効果があったのだと思います。
親からされたこと
私自身、親からひっぱたかれて育ちました。別に毎日とか、頻繁に叩かれたわけではありません。
特に悪いことをした時です。
とても衝撃的でしたし、叩かれた理由も、納得をしていたと思います。
また、兄弟が悪いことをして叩かれるのを見て、本人と同じくらい恐怖に震え、
自分はそんなことはすまいと心に誓ったりしました。
叩くという行為は、他の者への見せしめ的な意味もあったし、その効果は十分にありました。
最近では、叩くのはよくないとよく聞きますが、私はそうは思っていません。
なぜなら、自分自身が、とりたてて親に叩かれたから性格がゆがんだとか、
影響が出たとか、そういうことはないと言えるからです。
私はACで、自分でも色々と問題を抱えていますが、それは叩かれたからではなく、
母がアルコール依存だったり、精神病だったり、父がほとんど家にいなかったり、
といった長い間の家庭の機能不全があり、その影響です。
叩かれたからではありません。
なぜ、叩くのをやめたのか
ではなぜ、叩くのをやめたのかというと、いくつか気が付いたことがあるからです。ひとつは、問題は叩くことそのものにあるわけではないこと。
叩いた後に問題があると私は気が付きました。
やはり、叩いた以上は何かしらのフォローが必要ではないか。
叩いた理由、私があなたを大切に思っていること、それらをうまく伝えるのとセットでやらないと意味がないと思うのです。
私はそれがうまくできませんでした。
できるようになる気がしませんでした。
それは私が、スキンシップが好きではなく、子供への愛情表現がとても下手な母親だったからです。
叩きっぱなしでは、子供と私の間に溝ができる。そう感じていました。
叩いたのと同じか、それ以上に抱きしめないと、子供の心がどんどん離れていく気がしました。
でも私は子供のころからスキンシップが好きではなくて、特に、自分に余裕がなくてイライラしているときは、自分の子供にも触られるのが嫌でした。
ほめるのも下手だし、このままでは、子供が自己肯定感をえられず、自分のようにゆがんだ人間になってしまうと思いました。
二つ目は、叩くことによって、いっそう自分の抑えが利かなくなるのが怖かったから。
自分の怒りや苛立ちをストレートにぶつけることで、子供を力で支配しようとしているような気分になりました。
うちは大人が私しかいない。こんなに逃げ場のない関係で、大人が力を使ったら子供は勝ちようがないのです。
それを、心のどこかで爽快に感じるところがあって、心底自分が怖いと思いました。
一瞬、このまま怒鳴り散らして、子供にひどいことをしてしまいそうで、歯止めを聞かせるのに少し、逡巡があったのが自分でもわかりました。
自分でも、これはまずいなと思いました。
結婚していた時は、夫とはいえ第三者の目があることで、それが歯止めになっていたことに気が付きます。
大人が一人しかいない空間というのは、なんと恐ろしいものでしょう。
私は自分が怖くて、叩くのをやめました。
簡単な方法で、叩くことを回避する
自分がカッとし、子供をどなったり、手をあげたりしそうなときに私がやる方法。それはとても簡単です。
トイレに逃げ込むこと。
トイレじゃなくてもいいんです。
鍵がかかる場所など、その場から離れて、相手が追ってこれないところに逃げ込むことです。
その時は、気晴らしのグッズも一緒に持ち込むこと。
私の場合は携帯。
スマホでTwitterをみたり、ネットをみたり、全然関係なく、そしてぼーっとできることをすることです。
子供が、ねえねえママ、と扉をガンガン蹴ったり泣きわめいたりしても、シャットアウト。
「ママは今ひとりになりたいの」
そういって、あとは返事をしません。
そうして、しばらくして、気持ちが切り替わったかな?と思ったころに出ていきます。
そうすると、ヒートアップしていた子供もいつのまにかトーンダウンして、「ママ、ごめんなさい」と謝ってきたりします。
そのあと、少しだけ無理をして子供を抱きしめます。
抱きしめると不思議と落ち着いてきて、私は平静を取り戻します。
このやり方は、人それぞれだと思います。
パパがいれば、何も言わずに任せて出て行ってもいいかもしれない。
それで好きなだけぶらついて気分転換をしたらよいと思います。
戻ってきてから、子供をうんと抱きしめればチャラになる。
そう私は考えています。
目を見て話せばわかる、の言葉の裏の優越
今回のフリーペーパー、Little mama にもやっぱりありましたが、叩く・叩かないの話になると必ず出てくるのが「親が目を見てきちんと話せば、子供はきっとわかる。絶対に叩くべきではない」という言葉。私は正直、「ああ、楽な子に当たったのね。それか、楽な環境で育児をしているのね。でももう少しあなた自身が思いやりと想像力を持って」と思います。(丁寧な言葉でいうと)
言って聞く子ばかりではない。そうじゃない子供もいる。そう私は思います。
子供が他の子に比べて良い子だったり、何か特技があったり、長所があるとすぐに母親はどこかで「私の育て方は間違っていなかった」と思う。(逆の時、よく「私の育て方が悪かったからだ・・・」と後悔する。)
それを、うまいこと表現したのが「目を見て話せばわかる」。
子供が素直に言うことをきくのは「目を見て話した」だけでわかる子だったから。
そうではない子だっている。
正直私にはわかりません。
私はダメな母親だから、もしかしたら本当に、上手に育てると「目を見て話せばわかる」子になるのかもしれない。
でも、それをもって、それができない人に対してあたかも「あなたの育て方は間違っている」と言わんばかりに「目を見て話せばわかる」というのはあまりに残酷。
私たちはもうとっくに「目を見て話して」いる。
それでよくなるのなら、こんなことにはなっていません。
「これって、こうしてみたら?」とよく事情も知らずにしたり顔でいう人はまるで、
パンがないならケーキを食べればいいじゃない。
と言っているように聞こえます。
持てる者が持たざる者を貶める言い方です。
一瞬、そうして自分が良い母親で、良い子をもって気持ちがよいことでしょう。
でもそれは陰でこっそり、パパと一緒に喜んだらよいと思いますよ。
さて、色々と考えさせられたフリーペーパーでした。
実は今日、子供に嫌なことをされて私は1時間ほど子供を無視していました。
それだけ嫌なことをされたにもかかわらず、手を挙げなかったこと、それが私の心の支えです。
なぜ無視したのかはまた後日。
0 コメント :
コメントを投稿